長崎市長、伊藤一長の死におもふ

昨夜、長崎市長が凶弾に倒れ、今朝お亡くなりになりました。本島市長の先例もあったので、撃たれたことを知って、ドキっとしました。死なないでください、とすぐに祈りしました。本島市長は、わたしが小学校の頃、既に市長であり、平和運動を率先して行っていたことを、よく記憶します。絶対的に戦争を悪とする思想で、誰が悪いとか、どちらが先に手を出したとか、そのような理由などどうでもよく、むしろ、理屈ではなく、戦争は悪であり、暴力は悪なのだ、という単純な考えです。イラク問題にせよ、どちらが悪いとかではなく、現に人が死んでいるのだから、戦争に加担するもの全てが悪い、とする考え方です。そこには、大きな優しさと強さからくる博愛の精神がありました。結局、人は自分のことしか考えません。自分の利益しか考えようとしません。少し心の広い人になると、愛する人、家族、親戚、友達、同僚、という具合に守るべき円環が広がります。どれだけの人に愛を施すことができるのか、それが人間の器というものです。本島前市長は、自分の命が狙われることを知りつつも、平和へのメッセージを絶やすことはありませんでした。今回、亡くなられた伊藤市長も同じです。お二人とも博愛家で、大きな器の人でした。

伊藤市長とは、10年ほど前に、ニューヨークでお会いしたことがありました。長崎市の平和使節団が国連本部にいらした時に、少しばかりお世話をいたしました。国連ホテルのロビーでお会いして、日本総領事館の官邸までお供しました。お疲れの様子でしたが、時間を作ってくださり、ニューヨークのことなどいろいろとご質問されました。何事にも熱心で、また、まわりの方々にも気を使わせないような気の配り方、モノの話し方をされており、この方は、すばらしいリーダーなのだろうな、と思ったことを覚えています。平和運動においても、長崎市長としては、被爆地ということもあり、大切なアピールの場でありますが、同市長におかれては、政治的な意図や利害のために、平和運動を推進していた、ということではなく、本心で心のメッセージを送り続けていたことと思われます。

現在では、長崎は、「地理的に」日本の西の端で中央の文化から遠く離れた場所であり、都心部あたりから比較すると、経済的に不利な面も大きく、大きな較差があります。そもそも、長崎とは、江戸幕府の天領であったために、殿様のいない地域でした。日本でも、佐渡の金山や長崎くらいだったのではないでしょうか。城もなく、変わりに幕府の奉行所というものがありました。殿様がいない場所だから差別もあまり強くありません。町民文化に、唐文化、西洋文化が重なり、街は色とりどりに彩られていました。そこでは自由な風土があり、日本でも例をみない外交の港町でした。鎖国の時代にあって、長崎だけは差別もなく、西洋の言葉、衣料、学問、通貨などが入っていた入り口でした。そして長崎の街には巨万といえる富が海外貿易のおかげで降りてきました。精霊流しだ、やれ次はくんちだ、と街は毎年お祭り騒ぎです。そのような歴史や土地は世界でもあまり例がありませんでした。

また西洋文化は長崎から入ってきたことからも、日本の他の場所とはまったく違った土地だったのです。ちょんまげ頭の侍が商売などしてはおかしかった時代に、坂本竜馬が亀山社中を作り、それが日本で初めての株式会社といわれる海援隊になり、受け継いだ岩崎弥太郎が後の三菱財閥を作り上げます。医学でもシーボルトが西洋医学を教え、慶応義塾の創始者である大分の福沢諭吉や、早稲田大学創設者である佐賀の大隈重信は、長崎に留学して英語を学んでいます。福沢さんや大隈さんをはじめ、幕末には、勝海舟、高嶺譲吉、高野長英、皆といってよいほど、その頃の下級武士、学士、志士たちは長崎で海外の学問を学んでおり、西洋との歴然とした知識や力の差を感じたことから、討幕への流れになっていくわけです。長崎に興ったこと、発祥としたことを書けば、当然、そのころ日本に入った物、全てということになります。写真もそうですし、世界最大財閥のロスチャイルドのHSBC銀行、三菱など枚挙に暇がありません。そのように、長崎は日本の最先端であり、世界への窓口であり、近代化の中心地でした。その後も、三菱が長崎に三菱重工業を興しましたので、長崎は三菱の企業城下町のようになります。三菱のおかげで何をせずともお金は降ってきます。長崎の街は常に賑わいをみせていました。

そもそも長崎人の気質となる背景には、このような理由がありました。他の諸藩とことなり殿様がいない。侍もいないので士族教育というものがない。佐賀、熊本はもとより、鹿児島という雄藩の士族教育の流れが九州男児という骨太な男子を育成する基盤であったのですが、九州に位置しながら長崎にはそれがなかった。地下のお侍さんが一人もいない土地だったのですから。男子でも戦をせずとも生きていける土地柄でした。田んぼや畑を耕さなくても食べていける土地柄でした。なので長崎人には九州男児たる資質がともなっていません。天領地という土地柄があくせく働かずとも生きていけるのんびりした民族性を養い、誰かが何とかしてくれるでしょうという他力本願の土壌ができあがった。まあよかたい、よかよか、といったゆるやかな気質は長崎特有のものです。さらに三菱が興ったため外からの仕事が降りてきた。口を開けていればご飯が口に入ってきていた。長崎は、他の藩や県に比べて各段に恵まれた土地だったわけです。自力で生きる必要がなかったのです。ですから、そんなにあくせくした人が少ない、九州男児がいない、危機感がないといった性向になりました。明治以降、日本史に刻まれる重要人物が出ていないというのは、まぁ、よかよか、という長崎の気質によるところだとも思われます。長崎以外の他の土地では、朝は朝星から夜は夜星まで働いて米粒を作ってた貧しい小作人が、自立して商売ができるようになるわけですから、必死に稼ごうとしていました。当然、自由な商売ができるようになれば、実力次第で富を得ることができるますから、他地域ではどんどんビジネスが発展していったわけです。盛者必衰の理をあらわす。ただ春の夜の夢の如し。ということです。

とにもかくも、三菱様々の庇護の元、栄華を極めた長崎も、原爆を投下されるという痛い仕打ちを受けることになり、その繁栄は跡形もなく失われてしまいました。焼け野原だけが残されたのです。それに加え、船舶需要の減速、三菱造船の衰退という時の流れのなかで、長崎は方向性を持てずにいます。

私たち長崎の人間は、これからどういう方向で進めば幸せになれるのかを考えなければなりません。どうやって食っていけるか?つまり、どのような産業が興せるか?僕らのアイデンティティーは何か?それは、平和の灯火を消さないこと、訴え続けること。歴史や先人らを誇りに生きていくこと。だと思います。ちょっとまとまりが悪くなりましたが、このような事態になり、がっと書きましたが、本当にがっかりします。どうなってんだよ、俺の故郷、って本当に残念に思っています。伊藤市長のご冥福をお祈りするとともに、長崎という街がこれから少しでも平和になること、そこから世界全ての人々が憎しみあうことなく平和と幸せを享受できることを、お祈りいたします。

追記
“What can people possibly be thinking?”

At the close of the 61st year following the atomic bombings, voices of anger and frustration are echoing throughout the city of Nagasaki.

At 11:02 a.m. on August 9, 1945, a single atomic bomb destroyed our city, instantly claiming the lives of 74,000 people and injuring 75,000 more. People were burned by the intense heat rays and flung through the air by the horrific blast winds. Their bodies bathed in mordant radiation, many of the survivors continue to suffer from the after-effects even today. How can we ever forget the anguished cries of those whose lives and dreams were so cruelly taken from them?

And yet, some 30,000 nuclear weapons stand ready nonetheless to annihilate humanity.

A decade ago, the International Court of Justice stated that the threat or use of nuclear weapons would generally be contrary to the rules of international law, strongly encouraging international society to strive for the elimination of nuclear armaments. Six years ago at the United Nations, the nuclear weapon states committed themselves not merely to prevent proliferation, but to an unequivocal undertaking to accomplish the total elimination of their nuclear arsenals.

Nuclear weapons are instruments of indiscriminate genocide, and their elimination is a task that mankind must realize without fail.

Last year, the 2005 Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons, to which 189 countries are signatories, ended without result, and no progress has been observed since.

The nuclear weapon states have not demonstrated sincerity in their efforts at disarmament; the United States of America in particular has issued tacit approval of nuclear weapons development by India, and is moving forward with the construction of cooperative arrangements for nuclear technology. At the same time, nuclear weapon declarant North Korea is threatening the peace and security of Japan and the world as a whole. In fact, the very structure of non-proliferation is facing a crisis due to nuclear ambitions by various nations including Pakistan, which has announced its possession of nuclear arms; Israel, which is widely considered to possess them; and Iran.

The time has come for those nations that rely on the force of nuclear armaments to respectfully heed the voices of peace-loving people, not least the atomic bomb survivors, to strive in good faith for nuclear disarmament and non-proliferation, and to advance towards the complete abolishment of all such weapons.

It must also be said that nuclear weapons cannot be developed without the cooperation of scientists. We would urge scientists to realize their responsibility for the destiny of all mankind, not just for their own particular countries, and to abandon the development of nuclear arms.

Once again we call upon the Japanese government, representing as it does a nation that has experienced nuclear devastation firsthand, to ground itself in reflection upon history, uphold the peaceful intentions of the constitution, enact into the law the three non-nuclear principles, and work for establishment of a Northeast Asian Nuclear Weapon-Free Zone, that the tragedy of war may not occur again. We also urge the Japanese government to provide greater assistance to aging atomic bomb survivors, both within Japan and overseas.

For 61 years, the hibakusha atomic bomb survivors have recounted their tragic experiences to succeeding generations. Many have chosen not to hide the keloid scars on their skin, continuing to tell of things that they might rather not remember. Their efforts are indeed a starting point for peace. Their voices reverberate around the world, calling for the deepest compassion of those who are working to ensure that Nagasaki is the last place on our planet to have suffered nuclear destruction.

The 3rd Nagasaki Global Citizens’ Assembly for the Elimination of Nuclear Weapons will be held in October of this year. We invite people working for peace to span generations and national boundaries, and gather together to communicate. Let us firmly join hands and foster an even stronger network for nuclear abolition and peace, extending from Nagasaki throughout the world.

We remain confident that the empathy and solidarity of all those who inherit the hopes of the hibakusha atomic bomb survivors will become an even more potent force, one that will surely serve to realize a peaceful world free of nuclear weapons.

In closing, we pray for the undisturbed repose of the souls of those who lost their lives in such misery, we resolve that 2006 should be a new year of departure, and we proclaim our commitment to continue to strive for the establishment of lasting world peace.

「人間は、いったい何をしているのか」
被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。
1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。
しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。
10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。
昨年、189か国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。
核保有国は、核軍縮に真摯に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。
61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。
本年10月、第3回「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。
被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。
最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。

2006年(平成18年)8月9日
長崎市長 伊 藤 一 長